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LINZK

SMOKEYSTORY OF SMOKEYWOOD

 

“smokeywood”は彼、すなわち主人公 John Bryce Woodのニックネーム。
彼が生きた時代背景と彼の「音楽」、「家族」、「恋」、「友情」などを”一節の文章”と、”一描写の絵”
によって表現していきます。

SMOKEYWOODは現在進行系の物語です、
●SMOKEYWOOD: タイポグラフィーを中心とした文字ロゴもののグラフィックを多用した服作り。
●charlotte by smokeywood : キャラクター(絵)をモチーフにしたTシャツ、カットソー
以上の2ブランドによって1つの物語が構成されます。

最終的に「文字の無い絵本」を作成することがsmokeywoodの目的の1つになっています。
シーズン毎のコンセプト(物語)の中で、登場するキャラクターが表現する一描写を、
絵を見る本人がストーリー構築できるような(子供が見て自分で物語を作って行くような)構成になっています。
毎回の展示会毎に設けたコンセプトは全て絵本の表題だとお考えください。またその中に出てくるキーワードや
人物名などを主に文字デザインとして扱うのが「smokeywood」でその中に登場する人物や物などを絵にして扱う
のが「charlotte by smokeywood」というブランドです。

smokeywoodは洋服のブランドであると共に絵本の中身でもあるということです。

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〜序章〜Everybody’s Truckin’

1918年10月23日HarrisonArkansaで生まれ,幼少期をオクラホマで過ごした後、17歳でヒューストンに移住、
当時のヒューストンは、テキサスの熱い風をあびるような不景気のため若いジャズ指向のミュージシャンが育つ
環境ではなく、それどころか毎日がパニックだった。それでもWOODはヒューストンの寂れたBARから全てを
始めようと決心する。
そこで一夜あたりたった1ドルと、少しのチップを手に思うがままの音を奏でた。
そして無法者の地下音楽は、香りの良い煙のもとで不鮮明でも確実に人々の心をとらえ始める・・・
そこから始まる「音楽」、「家族」、「恋」、「友情」、様々な出会いがWOODを待ち受けます。

 

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〜第1章〜 I’M WITH THE BAND

JOHONが愛するHILLBILLY MUSICを広めるきっかけとなったのは、小さなラジオ放送局。
人、音楽、楽器。様々な出会いから、彼は1つの答えを導きだす。

 

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〜第2章〜 BREMEN

ヒューストンのラジオ局、KXYZradioのメインミュージシャンとしての活動を開始したjohn bryceの曲、
「Everybody'truckin」が、同局と親交の深いドイツBREMEN RADIOでも流れ出した。
Johnが伝えるhillbillly musicの精神は当時ナチス政権下のドイツ国民を勇気づけた。
1930年、時同じくして世界恐慌の爪あとを残したアメリカ、
KXYZradioはBremen radioとBREMENでJohn BryceのLive tourを決行する。
johnをサポートしたのは「The Bremen Town Musicians」(ブレーメンの音楽隊)と名乗る4人組だった。
こうして、「JB & The Bremen Town Musicians BAND」が結成された。
会場となったブレーメンの「Weser River beach」からは「I'm with the BAND!」と叫ぶ、johnの声が聞こえる。

 

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〜第3章〜 INDEED

ブレーメンでのライブを成功させたWOODを待っていたのは、喝采や歓喜の声。
収穫を喜ぶ歌「HILLBILLY MUSIC」は国境を超えて多くの人々を歓喜の渦に巻き込んだ。
RADIO BREMEN や BREMEN TOWN MUSICIANSと別れの挨拶を住ませたWOODは本国への帰路へつく。
ヒューストンに戻ったWOODは”Doggy A baker”という映画監督と合流する。
彼はWOODのBREMENでの活躍を題材にドキュメンタリームービーを作成していた。
劇中には、帰路の途中に作られた”Sweet Little Girl of Mine”が流れる。

 

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〜第4章〜 TEXOLA

ベイカーと共作したドキュメントムービー「INDEED」から数ヶ月、
woodは休暇を利用してオクラホマに戻る。シャーロットに会うため.....

オクラホマ州のルート66を走る。向かう先は、オクラホマシティから432マイル離れた州境の街、TEXOLA(テキソラ)。
愛車のキャデラックでドライビング
風を切って”sweet little girl”のもとへ

到着したのはテキソラの街に1件ある酒場Rain Dog。
そこで毎週土曜日のステージに上がるシャーロット、woodは今日ここへ来る事を彼女には内緒にしていた。
もちろんオクラホマに戻ってきていた事さえ知らない。
こっそり行って彼女を驚かせたかったのだ。

店に入りカウンターの隅にひっそり座った。
店内は田舎町のゴロツキの品のない笑い声と、酒とタバコの匂いが充満していた。
酒の弱いwoodは「Do you have Soda pop?”」とバーテンに話しかける。
レモン、ストロベリー、ライラックの3種類の味が揃っている。
その場にいたごろつき達は、当時、子供の飲み物だったsoda popを注文したwoodに声を荒げて罵声を浴びせ
ばかにしたのだった。この田舎町ではwoodの名はまだ知る者はなかたのも無理は無い。 
その大声を控室で聞いたシャーロットが店内に・・・
woodは「見つかっちまったか・・・」と格好をつけた。
そして臆する事なくそれを一気に飲み干し、シャーロットの横を無言で通り過ぎpianoの前に座る。

弾き始めた曲は「Dirty dog blues」


前奏でやつらの度肝を抜き、さらに罵声を歓声にかえさせた。
シャーロットは「ふふっ」と笑い、まるでブロードウェイの舞台女優のような立ち振る舞いで、それに合わせ即興で踊り歌った。

その場にいたゴロツキ達はすっかり二人の虜になり朝方迄歌い通し、woodは気づくと飲めない酒をおごられ更に上機嫌になっていた。

「最後の曲だよ」と笑いながら言うと、woodは未だ聞かせていなかった本人に向け「sweet little girl of mine」を奏ではじめた。
誰もが酔いしれ聞き入った。

そのまま店の明かりが消え、朝焼けの中二人は車に乗り込み宛も無くルート66を走り出した。 

 

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〜第5章〜 「THREE STARS ”J”」

 

一ヶ月ほどTEXOLAで休日を過ごし、シャーロットと再会を果たしたWOODは2人の故郷、オクラホマに戻った。

シャーロットをオクラホマシティの両親のもとへ届け、WOODは1人ラジオから流れる曲を聴きながら
更にあても無く走り続けた。
 
その時、ラジオから聞こえてくる音にWOODは心を奪われる。

当時、1870年代から続く「ジム・クロウ法」(黒人の一般公共施設の利用禁止制限の法律)の影響を受けていたアメリカ、オクラホマも例外ではなく街は二極化していた。

ラジオから聞こえてきたのは、Dexter Recordsの2人組みのアーティスト「Hooley'sg angs」。
彼らの音は、そんな自国の背景を悲観した魂からの叫びに聞こえてならなかった。

WOODはどうしても彼ら2人に会いたくなった。

そうして、WOODはオクラホマ第二の都市「Tulsa」(タルサ)の放送局「KTUL」に車を走らせる。
タルサに入ると、ルート66は11th Stとなる。

「彼らは普段は”BarGRAPH”でプレイしているよ。」と聞きつけ、そのままGRAPH のあるグリーンウッドという地区まで車を走らせた。

そこはBLACK TOWNS、ブラックウォールストリート(黒人ウォール街)として知られた街だった。

白人と黒人がいまにも衝突しそうな重々しい空気の中「 BarGRAPH 」のドアをたたく。
何とそこにいた二人組、つまり「Hooley'sg angs」は以前texolaの店で出会い、WOODの歌に賞賛した2人のゴロツキ。JOEとJAMESだった。
久しぶりの再会をかわした3人は、夜明けまで語りつくした。

「黒人と白人が線を引き、背中を向け合う、こんな時代をぶっこわそう」
 3人の想いは同じだった。

 テーブルを囲んだ3人は、「TREE “J” STARS」 として立ち上がった。

 

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第6章 ~LOGIC ~

「黒人と白人が線を引き背中を向け合う時代をぶっこわそう」
同じ想いの3人には、ひとつの悩みがあった。それは、3人ともが白人であった事。 
このままでは普通のバンドと変わらない。
そう、出した答えは黒人の仲間を探す事だった。

そんな時、JOEと同郷(ミシシッピ州ローリングフォーク)の友人のライブを見に、3人はシカゴへむかった。
お目当てはシカゴのJUKE JOINTでプレイするMuddyだった。
ハープを操り、深淵な声で歌い、豪快なボトルネックギターを奏でる彼。
3人が聞いた始めての音。
それがcicago bluesとの出会いだった。

すっかり虜になってしまったJOHNは演奏後のMuddyに詰め寄る。
「力を貸してほしい」と。
3人の想い、blacktownの現状を理解してくれたMuddyが提案したのは、
世界各地の様々な伝統音楽や民族音楽で取り入れられている「Call and response」だった。
[ A(12小節)=a(4小節)+a'(4小節)+b(4小節)  ]
リーダーが主題を演奏し、それを他の楽器演奏で継承するものだった。
「みんなの心を一つにするにはリーダーが必要だよ。僕らがそのリーダーになって演奏をし、聞いてくれる観衆をコーラスのようにするんだ。そうすればきっと一つになるさ。」
Muddyはあごひげを触りながら話し続けた。
「それには3人、そして僕を含めた4人がもっと音楽を知らなければならない。どうすれば人々の心を動かせる?感覚やテクニックだけではなく、頭でも理解するんだ。4人が演奏してきた「音の共通」(commonness of sound)つまり、音楽の理論を。」(logic of music)

こうして翌週、jukejointの支配人レナードの紹介で、jesse recordでのレコーディングが始まった。
4人の新たな挑戦が今、静かに幕を開けた瞬間でもあった。

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~Rest~ひと休み

ハンバーガーの歴史について(笑)

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